記号のコミュニケーション

言葉はどんどん進化していて、年配の人が顔をしかめるような言葉も、いずれは普通に使われるようになります。近年のインターネットの普及が語彙の変化に及ぼした影響としてとりわけ目につくのが、句読点などの記号類の使い方です。

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※これは英語での話ですが、日本語を使う私たちが共感するところも、ちょっと違うなと思うところもあります。日本の若者のコミュニケーションを思い浮かべながら読むとちょっと面白いですよ。(訳者より)

「あの子たちの話し方、聞きました?あれが英語だなんて、あきれた!訳のわからない変な言葉を並べて、さっぱり理解できないわ!」公園で遊ぶ孫を見ながら、お年を召した女性が言いました。

そう思っているのはこの女性だけではありません。今どきの子供たちを理解できそうにない時があります。新しい言葉を新しい文脈で使いますし、単語のつづりも変えています。

— Sup?(どうよ?)

— N1 haha(いいねw)

— Duh. Whatever. K TTYL(なにを今さら。まあいいや。んじゃ、またあとで)

— BFN(じゃね)

この意味、全部知っていましたか?30歳の私でも戸惑うのですから、年配の方などお手上げではないでしょうか。

無理もありません。上の世代の人たちは、若い世代の変化に対して何か言わずにはいられないのです。こういう愚痴や嘆きは遠い昔から変わりません。遡ることローマ時代、皇帝ネロ治政下のローマの若者は「人工的な言葉」を使って文章を書いていた、という話を聞きました(英語)。

とはいえ、現在起きている変化はこれまでと少し違います。変化は劇的でグローバルです。インターネットとモバイルテクノロジーの普及が、多くの言語で急速な変化を起こしているのです。ご想像のとおり、その筆頭は英語ですが、他の言語も追随しています。

最もわかりやすい変化は語彙に表れています。「Google it」(ググる)、「dis」(ディスる)、「meme」(流行ネタ)など、枚挙にいとまがありません。また、「聞こえた通りに書こう」という提案がなされるたびに、言語純粋主義者の怒りが爆発します。

語彙以外でも、少しばかり変化が訪れています。たとえば、言語の中でも地味で、形式が決まっていて、あまり変えようがないはずのあれ – そう、記号です。

「Facebookによると「haha」はかなりの程度「lol」に取って代わられた」

スラッシュ ドット ダッシュ ドット

昔ながらの書き言葉で使われる記号(句読点など)には、文章の構成をはっきりさせ、内容を理解しやすくする役目があります。それがインターネットでは、こういった「高度な」機能は意味がなくなり、使われなかったりします。

Facebookに投稿するとき、正しい場所にきちんと読点を打つ人はどのくらいいるでしょう?

「俺が異常に使う省略記号に対抗できるのは俺が必要以上に使うカンマだけ」

そんな必要はありますかね?どのみち、意味を持つのは文章なわけで。しかし、オンライン言葉では、記号の役割はまったく別物です。感情を表すのです。

話し言葉では、声のトーンや身振り手振りなど、言葉以外のさまざまな手段で感情を伝えます。本やメディアの発表や手紙など、じっくり読む文章では、書き手に十分な時間とスペースがあり、きちんと要点が説明されています。ですが、モバイルでのチャットの場合、そうはいきません。会話は早くて簡潔ですから。

たとえば、相手が「cool」(すごいね)と書いてきたとしましょう。さて、この「「cool」の意味は?皮肉?それとも、面倒くさいチャットをさっさと終わらせようとしている?もしかして、言葉通り「すごいね」という意味?

この問題は、顔文字を使えばある程度解決できますが、言うほど簡単ではありません。笑った顔文字と泣いた顔文字を区別するのは簡単ですが、}:->)のような微妙な顔文字はどうでしょう?何か特別な「辞書」が必要です。

要するに、顔文字でも問題は同じなのです。こんな感じの顔文字の大半は、直観的に理解できませんし、意味も1つではありません。たとえば、奥さんが自分にものすごく腹を立てていると思って慌てたら、実は奥さんが「困った感じの顔文字」をチャットで使ってみたかっただけ、ということもあるでしょう。そうとわかるまでに、2人の間でしばらくやりとりが必要かもしれません。

ところで、顔文字が好きではない人は大勢います(使いにくい、失礼、といった理由で)。ここで登場するのが、おなじみの記号です。

激しい感情を伝えられるのは、感嘆符と疑問符です。現代のコミュニケーションでは、どれだけ付けても足りません。

— Tee hee???(イヒヒ???)

— Wicked!!!!!!!!!!!!!!!!!!(すごーい!!!!!)

面白いことに、この会話では言葉を取ってしまっても、意味は変わりません。

— ???

— !!!!!!!!!!!!!!!!!!

でも、これはほんの一部です。記号の世界は、複雑でわかりにくくて大変なことになっています。

混乱するピリオド

では、ピリオドはどうでしょうか。この記号、オンラインの会話ではめったに使われません。Enterキーを押せば発言は終わりなのに、わざわざピリオドなんて必要でしょうか?

この「要らないはず」のピリオドが発言の末尾にあると、いろいろな意味を持つようになります。今では、議論が荒れていることを表すために使われるようになりました。「これで話はおしまい。言われたとおりにしろ。以上」という意味になる可能性もあります。あるいは、「マジ、ムカついた」とか「ほっといてくれない?」とか。

ちょっと比べてみてください。

— I’ll go fishing on the weekend, ok?(週末、釣りに行こうと思っているんだけど、いいかな?)

— Ok

— I’ll go fishing on the weekend, ok?

— Ok.

1つ目の「Ok」は単純明快そのままの意味ですが、2つ目の「OK」には「どうぞ、ご自由に。でも後悔するわよ」という気持ちが込められています。

何十年もの間、このルールが言語学の大家から押し付けられず、学校でも教えてもらえなかったとは驚きです。自然発生した直観的なルールですが、すでに世界中に広まっています。

「省略記号も顔文字もないメッセージをもらったら、なにか悪いことがあったんだと思ってしまうだろうな」

過剰なピリオド

同じ話は省略記号(…)にも当てはまります。「ぼそぼそつぶやく」ための記号で、荒々しいピリオドとは対極をなしています。

たとえば、文章が省略されていることを示す場合など、限られたケースでしか省略記号が使われなかった時期がありました。特別な意味は持ちませんが、今では万能の記号になりました。オンライン構文では多用されています(英語記事)。

研究者によると、こんにちの電子的な会話において、省略記号は2つの目的で使用されています。

まず、省略記号は生き生きとした会話を演出できます(英語記事)。実際の会話では、「えー」とか「あー」を挟むことがよくあります。役に立たない言葉だと考えられがちですが、これがないと人工的な会話に聞こえます(テレビのニュースは除く)。ですから、電子的な会話で省略記号を使うと、文字による会話の中に「心地よい」小休止が挟まれ、穏やかで「リアル」な会話になります。微妙な話題について話し合うとき、特に効き目があります。

「近いうちに…もしよければ…いっしょに…映画を見に行くなんてどう…?」

省略記号のもう1つの使われ方は、かなり一般的です。書きながら頭に浮かんでくる雑然とした考えをそのまま文字にして、ところどころ省略記号を挟んでみましょう。省略記号がなければ、意味のない単語の羅列にすぎません。ところが、省略記号を挟むと、はっきりと表現されていないけれど気の利いたことをほのめかす思慮深い文章へと大変身します。

「ピリオド=冷たすぎ。感嘆符=上っ面の興奮!これからは文章やツイートはカンマで締めることにする」

「省略記号を試してみなよ。ミステリアスで賢そうな感じがしないか…」

省略記号はとても便利です。自分が何を言っているのか、文章がどこで終わり、次の文章がどこから始まるのか、文章の構造はどうなっているのか、を考えなくてもいいのです。つながらない言葉をつなぐための「つなぎ」のように使えます。実際、この使い方は近ごろの言葉の変化でよく見られる傾向です。

では、こうした変化は言葉の退化を示しており、昔はよかったというお年寄りの言葉は正しいということでしょうか?そんなことはありません。

言葉には、日常生活における変化がそっくり映し出されています。そして、私たちの生活はますますスピードアップし、混沌としてきています。

1つのことに集中する機会は減りました。メールが届いたと思ったら電話が鳴り、受話器を取り上げたところに、上司からチャットで質問され、そこにカレンダーアプリからその日の予定のリマインダーが表示されたのでスヌーズし、メールの返事を書き続ける… 身に覚えはありませんか?

というわけで、近頃の書き言葉が20世紀の言葉の規則から外れていても不思議ではありません。

時代が変われば、ルールも変わるのです。

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