デジタルライフに自由を!

2016年12月8日

先日、Kaspersky Labが実施した調査によると、インターネットのアクティブユーザーの70%以上が、SNSを止めようと考えたことがあるそうだ。その主な理由は、SNSであまりにも多くの時間を無駄にしているからだという。私はそれ以上の理由もあると思う。人々は自分がデジタル企業に利用されているだけだと気づいているのではないか。デジタル企業は利用者にコンテンツを与えるだけでなく、あれこれ指図するようになってきた。何をしろ、これを買え、あれを見ろ、それを聞け…数え上げると切りがない。

私たちのデジタルライフは本当に私たちのものだろうか?皆さんがすでにご存じのとおり、現実は厳しい。デジタルライフは私たちのものではないのだ。

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デジタルデバイスの利用者は、「デジタルシャドウ」を多少はコントロールできる。Webサイトにアクセスすると自動的に生成される、個人にまつわるデータやメタデータ、これがデジタルシャドウだ。VPN、匿名化ソフトウェア、フィルタリングを駆使すればデジタルシャドウを小さくできるが、デジタルライフでもっと目立つ部分についてはどうだろうか?写真、動画、ふと浮かんだ考えなど、意図的に投稿して自分のものだと思っているもの、つまり「デジタルフットプリント」は実際のところ、SNSやマルチメディアホスティングプラットフォームを運営しているIT企業の所有物だ。

昨日、友達と一緒に、または家族のために作ったあの動画は?アップロードした瞬間に、ホスティングサービス(動画の共有サイト)がその動画の事実上の所有権を手に入れる。居住国の法律によっては、それ以上の共有を禁止したり、個人的なコンテンツの削除を要求したりすることもできるが、サイトの利用条件にどのように書かれていようと、その動画がどこかにキャッシュされていないとは断言できない。さきほど、私が「所有権」の前に「事実上の」とつけたのはこのためだ。

基本的に、インターネットにアップされたものは、永久にそこにとどまる。投稿したときの心理状態がどうだったとか、将来、そのアカウントにアクセスできるかどうかは関係ない。誰かがあなたのアカウントをハッキングし、パスワードを変えてしまったら?お気の毒だが諦めてくれ!デジタル作品に対する所有権がないこと、または所有権を得る権利がないこと…この状況は、どこかデジタル時代の奴隷制度を思わせる。

実際、知り合いの中にはこれが便利だと思っている人が多い。こういう人は「あなたにぴったりのコンテンツ」「限定品」「友達からの愉快なフィード」という言葉がもたらす幻想の中で暮らしたいのだ。一方で、そういったものに対価を払うのを止めたい友達もたくさんいる。理不尽で、不可解で、予測不能で、そして何よりも目に見えないデジタルツールに対して、自らの自由を差し出さないようにして。私もこの道を選ぼうとしている。

さて、ここで皆さんにお聞きしたい。最後に親友や家族と座って、一緒にアルバムを見返し、思い出を分かち合ったのはいつだろうか?ずいぶん前のことではないか?私たちは重度のSNS中毒になってしまったので、みんなで集まってもアルバムを見ることなどない。アルバムはもはや存在すらしないのだ!アルバムの役目を引き継いだデジタルフォトフレームは定着しなかった。InstagramやFacebookに写真を投稿すれば済む時代に、そんなものは必要ない。

というわけで、人々はアルバムを囲んで友達とくつろぐ代わりに、片手にフォーク、片手にスマートフォンを持ってテーブルにつくのだ。家族との夕食の雰囲気を壊すだけでなく、この「今すぐシェア」中毒により、私たちの重要な部分を外界にさらしている。その上、先ほども申し上げたとおり、そのコントロールを企業に任せているのだ。しばし哲学的にならせてもらうと、目に見える形で過去が残っていなければ、それは私たちに未来がないということなのだろうか?

後になってわかることだが、デジタルの思い出の所有権を取り戻すのは至難の業だ。巨大IT企業はあなたをつなぎとめておくためなら、どんなことでもするだろう。また、1つのサービスだけにデジタルフットプリントを残している人などいるだろうか?ほとんどの人が、少なくとも2~3のサービスに思い出をまき散らしているはずだ。

2017年に開始予定のサービス、FFForgetのコンセプトを練り上げながら、私たちは4大SNS(Facebook、Twitter、Instagram、Google+)向けのAPIをテストした。その結果、(今のところ)投稿したコンテンツを取り返し、SNS上のデジタルデータをコピーして、暗号化された侵入不可能な金庫へ安全に保管できることがわかった。いったん、個人的なコンテンツを取り戻せば、これらのデータやアカウントを自由に扱うことができる。巨大IT企業からの解放に向けてまた一歩、前進だ。

個人的なデジタルコンテンツを取り戻すことは、現在のモデル、すなわちデジタル時代の奴隷制度が通用しない未来へ向けて一歩近づくことだと確信している。この未来では、所有権はすべて利用者にあり、利用者は自分のコンテンツを自由にコントロールできる。私はこういう未来に暮らしたい。