自動運転車に潜む危険

2016年9月20日

「自動車」という言葉には「自分で動く」という意味があります。1世紀以上の歴史の中で自動車は進化を遂げ、人間に代わって運転を任される範囲が広がってきました。クランク棒を使ってエンジンをスタートさせていたのは、大昔の話。それから長い年月を経て、オートマチックトランスミッション、クルーズコントロール、自動ブレーキなどの機能が登場しました。

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そして今、私たちは完全自動運転車の登場を目の当たりにしています。ハードウェアについて言えば、こうした自動車に特に複雑な点はありません。ホイール、エンジン、ステアリングホイール、ブレーキ、各種サーボは従来の自動車とほぼ同じです。

道路や他の自動車を監視するための内蔵カメラも、登場以来それなりの年月が経っています。詳細な地図を備えた道路標識認識システムや衛星ナビゲーション機器は、中程度の車種にも搭載されています。標準的な車でも、道路の欠陥を検知できるほどです。たとえばメルセデスのある車種は、この欠陥情報を元にサスペンションを調整し、スムーズな走行を実現しています。

完全自動運転車の未来に残された技術的課題はただ1つ、ソフトウェアレイヤーです。人間の運転手に代わり、すべてのシステムがきちんと機能するように管理するレイヤーです。ところが、ここに数多くの問題が潜んでおり、しかも技術的ではない問題も含まれています。

自動運転車初の死亡事故については、すでにご存じかと思います。テスラ車の認識システムに欠陥があり(英語記事)、目の前を横切るトラックを認識できませんでした。運転席にいた人はこの状況に気づかなかったようです。もしかすると、事故の瞬間、映画でも見ていたのかもしれません。

事故の責任はどこにあるのでしょう。トラックの運転手でしょうか。トラックは優先権のあるテスラに道を譲るべきでした。テスラの持ち主はどうでしょうか。彼は運転していませんでした。では、自動車メーカー?テスラ社がこの車を運転していたわけではありません。

別の状況を考えてみましょう。事故が避けられない状況であり、車載コンピューターは、たとえば幼児が突然道路に飛び出してきたのを認識したとします。交通安全規則では、運転手は方向転換せずにサイドブレーキを引くことが定められています。つまり、自動走行中の車であれば、ただルールに従い、子供をひいてしまうでしょう。一方、生身の人間であれば、規則を無視してハンドルを切り、電柱などにぶつかっているでしょう。こちらの方が、まだマシな選択です。エアバッグのおかげで運転手は無傷で済む可能性があります。

もう1つ考えてみましょう。ムース(ヘラジカ)が道路に飛び出してきたとします。規則に従えばムースと衝突し、車内にいた人(と車)は深刻なダメージを受けるでしょう。ですが、普通は人間の運転手がムースをよけてレーンを外れ、その後またレーンに戻るでしょう。実はこの走行テストには名前があり、ムーステストといいます。何事もなければ、運転手は運転を続けます。最悪の場合、脱線かスリップしますが、おそらくは大事に至らないでしょう。

対策

では、この問題にどう取り組めばよいのでしょうか。運転手はハンドルを握るたびに、いくつもの判断をしなければなりません。車載コンピューターをさらに進化させるのも手です。コンピューターでさまざまな障害物を区別し、異なる要因を考慮できるようになれば、想定外の道路状況によって起きる問題を解決できるかもしれません。ムースのような障害物が進路に侵入してきたら、すぐによけることも可能でしょう。幼児が車の前に飛び出してきたら、周囲に歩行者がいないことを素早く確認し、ぶつかっても比較的安全な目標物(電柱など)を見つけることができるかもしれません。

これはなかなか良い案だと思います。適切なアルゴリズムであれば、完全自動運転車は実現するでしょう。もっとも、話はそれほどシンプルではありません。

自動運転車の車載システムを設計する企業、Cognitive Technologiesが実施したアンケート結果を見てみましょう(英語記事)。このレポートの興味深い点は、回答者がかなりの数に上っていること。ロシア周辺の47地域から80,000人です。回答しているのは、私たちと同じごく普通の人々です。

アンケート結果によると、車の前に歩行者が飛び込んできて、反対車線から車が近づいている場合、衝突を避けるために道路から外れると回答したのはわずか59%でした。驚いたことに、38%は歩行者をひくと回答し、約3%は反対車線の車と衝突する方向にハンドルを切り、相手が衝突を避けて道路から外れてくれることを期待すると答えました。

走行中の車の前に複数の歩行者が飛び込んできた場合、71%が道路から外れると回答し、26%は歩行者の集団にそのまま突っ込むと回答しました。

興味深いことに、道路に犬が飛び込んできた場合は55%がひくと回答。なお、車線に犬が飛び込んできたときにサイドブレーキを引くという選択肢も考えられるのですが(後続車に追突されてしまいますが)、この選択肢を選んだのは40%だけでした。

もう1つ、米国で実施されたアンケートでは、さらに驚きの結果が出ました(英語記事)。レポートによると、自動運転車は乗客の命を犠牲にして歩行者の命を優先すべき、との意見が多数を占めることがわかりました。歩行者の人数が多いほど、この考えを妥当とする回答者も増えます。たとえば歩行者が10人の場合、自動運転車は歩行者の命を守り、乗客を犠牲にすべきと回答したのは76%でした。

もっとも、質問が家族に関わる内容になるほど、この気高い姿勢は薄れていきます。不特定多数の歩行者を救うために自分や自分の家族の命を犠牲にするような自動運転車を購入するかという質問に対し、立派な志を持ち続けていた人はわずか19%でした。

結論は明らかです。自動運転車の意思決定に対する考え方は、「もしも」の状況にある人と、自分自身との個人的な関係に左右されるということです。

では、自動車メーカーはどうすべきでしょうか。メーカーが自動運転車に実装するアルゴリズムをすべての人が支持するわけではないため、交通事故を受けた訴訟が急増する可能性があります。かといって、自動車のプログラミングを所有者任せにしてしまうと、所有者が悪事に利用したり、システムをハッカーの攻撃に晒したりするかもしれません。

以上を踏まえると、未来の自動運転車(登場すると信じています)は、車の所有権という考えが廃れ、代わりに運送会社の所有物になると想像します。そうすれば、誰もがUber(英語記事)のようにモバイルアプリから配車を頼むことができるようになります。

このやり方であれば、今、車の所有者数に等しい人数を運ぶのに必要な車の数は、相当に減るでしょう。交通渋滞、空きのない駐車場、運転が荒くて会話能力の低い恐怖のタクシードライバーなど、多くの問題も解消されるでしょう。

歩行者は目印(たとえば蛍光素材を使った服。欧州の歩行者は日没後の着用が義務付けられている)を身に付けるようにして、歩行者をひくか乗客を犠牲にするかの二者択一が生じる状況を排除する、というのも一案です。これで問題が1つ解決されるかもしれませんが、まだ課題は山積みです。