子を持つ親御さんへ:SNSでやめるべき6つの行い

2015年10月14日

思春期の頃、両親によく、幼い頃のアルバムをガールフレンド(その後「元ガールフレンド」になりましたが)や友達の前に引っ張り出されて、恥ずかしい思いをしたものです。

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あの頃は、自然体の様子、変な顔、偶然のたわいないふるまいなどが、決まり悪さも含めてそのまま記録されました。言うなれば、両親が自宅という私的な空間の中でアルバムを人に見せて、我が子のかわいさを自慢できるように保存されたのです。

翻って今日の私たちは、起きている時間のほとんどをWebに接続して過ごし、写真を撮ればすぐにFacebookやInstagramといったインターネット上のサイトで共有される時代に生きています。昔は分厚いアルバムだったものが、今やユーザーのハンドル名やプロフィールに紐付けられたデジタルアイデンティティへと変わっています。

SNSのプロとして(そして子を持つ父親として)SNSで多くの時間を過ごしている私は、人々がオンラインでいかに自分をかっこ良く見せているか、そしていかに我が子が今後の人生で不快な思いをする原因を作っているかに驚かされることがよくあります。

SNSサイトは、本質的には、生活の様子、印象的な瞬間や思い出を親しい人たちとのつながりの中で簡単に共有できるようにしてくれました。弊害は、共有が非常に簡単になったために、共有している相手は実際に誰なのかをほとんど考えなくなっていることです。

子供の頃の恥ずかしい写真は、限られた人にだけ見せるものでした。しかし、今の子供たちの写真は、親である私たちの交遊ネットワーク内の人であれば誰でも見ることができます。

確かに皆、自分の意思でSNSに登録しましたが、子供たちもそうでしょうか?親は(それに友人や親戚も)、互いに自分たちの投稿に目を光らせ、10年後や20年後になって子供たちに嫌な思いをさせるかもしれない投稿にストップをかける必要があります。特に、以下の6つの点に留意しましょう。

1. 自分のプロフィールを一般公開しない

ご自分の小さな娘さんの写真を近所の変質者に見られて嬉しい人は?こう聞かれて挙手する人はあまりいないはずです。

それにもかかわらず、FacebookやInstagramのプロフィールを一般公開に設定するのは、インターネットに接続しているすべての人に、自分が載せている写真を見てくださいと言っているようなもの。プロフィールをそのように設定するのは軽率なだけでなく、無謀でもあります。

SNSでは、各自の望むプライバシーを設定できるようになっています。自分と本当につながりのある相手だけが参照できるように設定すべきです。投稿ごとに公開範囲やプライバシーの設定を変更することもできます。我が子に関わる内容には細心の注意を払いましょう。

2. 他人の子供の写真を共有しない

写真の共有について特に腹立たしいのは、数人で写った写真をSNSサイトで共有されることです。親には、我が子の写真を誰が閲覧でき、コメントを投稿できるか知る権利があります。我が子をSNSに近づけたくないという親は(私の同僚の多くがそうですが)、親としてそうする権利があり、写真を撮った人にそれを決める権利はありません。

個人的に、とても悩まされるのは、家族の誰かが私の子供の写真を投稿し、知らない人からコメントをもらったときです。正直なところ、「あなたは誰だ、なんで我が子の写真にコメントしているんだ?」と思ってしまいます。私は家族と話し合い、非常識と判断したコメントを投稿した人に対して辛辣なコメントを返しました。

何とも奇妙な世の中です。個人の意図や事情を完全に知ることなどできません。ともすれば、虐待している親に、避難している家族の居場所を告げ口する立場になってしまうかもしれません。

3. 我が子のプロフィールを作成しない

Facebookで友達リストからある女性を削除せざるを得なくなったことがあります。理由は、彼女がFacebookで自分の子供のプロフィールを作成し、写真に必ずタグ付けしていたためです。世界最大のSNSで、一定の年齢に達していないとプロフィールを作成できないことになっているのには理由があるのです。

セキュリティの問題を脇においても、巨大広告企業に自分のデータを公開するかどうかは子供たちが自分で決めるべきです。

4. 我が子の入浴写真を公開しない

お風呂に入っているときの子供の姿がどんなにかわいくても、非公開にすべきです。

自分の体の中で人に見せるべきでない部分を、他人に見られたくはないですよね?もちろん、私も同じ意見です。

子供だからといって、大事な部分を世界中の人々に見せていいということにはなりません。

世の中には、お金を払ってそういった写真を見ようとするおかしな人たちもいます。責任ある大人として、私たちは子供の生活のプライバシーを守ってやらなければなりません。

5. 子供を公の場で懲らしめない

数年前、Dog Shaming(悪さをした犬を「反省」させたコミカルな写真を投稿する海外のサイト)が流行りました。とても笑えると評判になり、多くの「いいね!」や共有、コメントを集めたため、同じことを子供でやってみよう(英語記事)と考えた人たちがいました。

具体的には、何か悪さをした子供を公の場で懲らしめるため、いたずらの内容を書いた紙を持たせて写真を撮ったり、公の場でお仕置きを受ける様子を写真に撮ったりしました。笑う人もいれば、コメントを投稿する人もいました。写真を投稿した親は、自分のしたことが認められたとか、賞賛された気になりました。子供は自分の過ちが公にされたとはいえ、直接会うことはない人たちなので、懲らしめになったのかどうかは怪しいところです。

実際のところ、何の教訓にもなりませんでした。この問題に関して、ある男性の動画(英語)が話題になりましたが、それは逆の理由からです。

問題の核心をきちんと押さえています。

6. いじめっ子の餌食にさせない

私が少年時代を過ごした80年代から90年代にも、いじめはありました。誰がいじめっ子かを皆が知っていましたから、たいていは関わらないようにしていました。あいにく、多くの活動がWebに移行した現在の社会で、私たちは何かひどい発言をする前に立ち止まって考え直す余裕を失っています。毎週のように、ネットいじめによる自殺の記事を目にするような気がします。

昔のいじめと同じように、ネットいじめも、怖がる気持ちにつけ込んで人を操るやり口です。さらにオンラインでは、集団心理とスラクティビズムが相まって、近所の同級生をからかったり、騙したりすることがかっこ良く見えてしまう恐れもあります。

同僚から聞いた話です。ある企業の重役が、自分の子供が通う学校でスピーチを行った際、取り出したコンピューターのデスクトップの背景に、その子のかっこ悪い写真が載っていて、生徒たちが忍び笑いをしたそうです。

良かれと思ってしたスピーチが、その子にとってはまったく別のものになっただろうことは想像に難くありません。クラスの人数はせいぜい30人程度でしたが、だからといって不快感が小さく済むわけではありません。

人間として発展途上にある子供は、いつでも最善の判断ができるとは限りません。もしその写真がオンラインに晒されていたら、その子の苦しみや恥ずかしさはさらに大きくなっていた可能性があります。

この重役のケースから学べるのは、誰が見るのかコントロールできないのであれば、将来我が子が恥ずかしい思いをするかもしれないものを公開してはならない、ということです。私たちの両親は、見せる相手を限定していましたが、インターネット上ではそれができません。

誰しも、我が子の育て方を決める権利を持っています。ただ、将来について考え、SNSにはセキュリティ上の弱点が伴うという事実に思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。